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転載 大川総裁 離婚訴訟の真実 Ⅱ 【検証】 幸福の科学・過去の三つの事件 (後)



事情をよくご存知の方による分析です。

「敵地先制攻撃」には、ずっこけたことを思い出します。

なぜ、十分わかっていないことを、自信を持って言ってしまうのでしょうか。週刊誌記事も同様ですか?(わきの甘さはやはり天狗・仙人さん?)

思い込みの発言は危険ですね。



2011-03-04 (金) 幸福実現党観察日記より 転載

 前回に引き続き、週刊誌と、もと夫人の言い分
 「幸福の科学の半分は、もと夫人のものだ」……について、過去の教団の事件から、検証を続けています。
 ではどうぞ。

【検証その2.幸福実現党の立党】

 次に、2009年の衆院選における幸福実現党の立党について。
 実現党が立党され、何人目かの党首に、もと夫人が就任していたことがある。
 「敵地先制攻撃」と叫んだのは、もと夫人が党首となり、街頭に立ったときのことである。
 これはかなり大きな波紋を呼んだ。
 小生が「あちゃー」と思ったのは、「東大落城」「あさま山荘事件」で指揮をとった有名な警察官僚で、危機管理の専門家の某氏が、インタビューで、政党名こそ出さなかったものの、この発言をひきあいにだして「とんでもない」と眉をひそめていた映像を小生は見たときである。
 その過激な主張に、確かに実現党の名前は知れ渡ったのだが、その優れた政策や主張よりも、「敵地先制攻撃をかける危険な団体」というイメージが定着してしまった。
 また、自衛隊のもと幕僚長が、もと夫人と対談したものが、産経新聞の意見広告でロングインタビューとして掲載されたが、そのとき、幕僚長氏は足が震える思いであったという話も聞いたことがある。
 それほどもと夫人の主張と態度は恐ろしかったのだ。
 もと夫人の発言は、これを筆頭に、ことごとく実現党に功罪をもたらした。
 そして、それらの戦いぶりをみていた大川総裁は、その年の七月末に、
 「百万票はとれるだろうが、衆院選は敗北する」
 という結末が見え、撤退も考えたという。
 しかし、大川家の男子三人の進言もあって、戦いを継続。
 敗戦が確定した時点で、総裁みずからが党首となった。
 (大川総裁は、勝ち戦は部下に任せ、負け戦と知ったときは、自らが矢面に立つタイプの指導者なのだ)
 連日関西と関東で、総裁自らが派手な街宣を繰り広げ、バラマキ一色の民主党が圧倒的優位を保った選挙で
 「日本人よ、あなたがたはいつから乞食になった!」
 と街宣で叫んだ姿は未だに鮮明に思い出せる。

 その「負け戦」の趣旨は明確だった。
 実現党は、
 「自分たちは負けても、国論を変え、北朝鮮や中国に『強烈な愛国の団体が現れた』ことを知らせ、日本人の気骨を見せる」
 というつもりでやっいたのだ。
 事実、そのあと北朝鮮はしばらく大人しくしていた。
 また、選挙に不利である「自国防衛」をかかげて、平然と、堂々と、選挙戦を戦い抜き、百万を超える集票に成功した。
 さらに、負けた後でもみじんも恥じず、「今後も立候補者を出していく」、と宣言したその態度。
 これは、自民党の議員の保守精神を大いに勇気づけることになった。
 さらに、八月末に衆院選が終わると、総裁はというと、会員が傷心する間もなく、次々と「宇宙人リーディング」を発表し、新しい宗教的世界を開いた。
 そのリーディングの量と質はまさに驚愕であり、宗教団体として全き健在ぶりをアピールすることになる。
 (このとき、総裁は夏の街宣でかなり体を痛めていたはずである。にも関わらず、その後、次から次へと休む間もなく各地を回り、演壇に立たれていた。会員さんは休めたが、総裁はそのままあの勢いで講演して回っていたのだ。2004年に続いて、よく心臓が止まらなかったものだと思うと、正直ぞっとする)

 結局、あれほど派手な戦で負けたにもかかわらず、幸福の科学に全く傷はつかなかった。
 幸福実現党はその名前を日本中に知らしめ、順調に政党としてのスタートを切ったのである。

【検証その3.大川総裁の三男氏のいじめ問題】
 
 そして、三つ目。大川総裁の三男氏のいじめ問題。
 大川総裁の三男氏が、名門の某小学校で陰湿ないじめを受けた。
 体をアザにして帰るばかりでなく、耐えられないような辱めを受け、最後には生命を奪いかねないところまでエスカレートしていった。
 だが、学校は一丸となってそれを否定したのである。
 もと夫人は激しい抗議をしたが、学校はそれを必死で隠蔽しようとして、学校ぐるみの問題に発展してしまった、という形になった。

 これは前の二つに比べれば、確かにニュースとしては小さいが、その団体がおかしいかどうか、というのは、その子供たちを見るとわかるようなところもある。
 子供たちの弱みは、団体にとって恰好の攻撃の口実なのだ。

 事実、そのとき、いま、もと夫人の談話を大々的に載せている週刊誌二誌が、この事件をとりあげて、
 「学校には何も問題がないのに、カルト教団の一家が騒いで問題を起こしている」
 かのように書き立てた。
 結局、三男氏は転校。
 その後、今度は順調に学園生活を送っている、という。

 このいじめ問題の発端は、じつは母親であるもと夫人の言動にあった、という。
 もと夫人は、PTAの役員となったのだが、その際、「自分がいかに仕事ができるか」ということを示すために、PTAの事務仕事を、一人で大量に引き受けては、全てを幸福の科学の宗務スタッフにさせていた。
 目に余るその様子に、同じPTAの役員の人たちから遠回しに諫められたのだがきかなかった、という。

 そういえば、それより少し前、大川総裁が、
 「母親が、母親同士で良好な人間関係を築けていないと、子どもは学校で一人で戦わなければいけない状態になる」
 という趣旨のことをご講義の中で語っていたのを覚えている。
 あれはもと夫人へのメッセージだったのだろう。

 結局、総裁のその言葉も、もと夫人には届かなかったらしく、とうとう、三男氏は、同級生からいじめられることになった。
 (このとき、いじめに荷担した子供達の口からは、「オマエの母ちゃんキチガイだ」というような記事を読んだ記憶がある)
 もと夫人はというと、そのいじめに対し、どうしても許せずに、最後には「担任をクビにしろ!」という、過激な文面を、学校にファックスすることにした。
 周囲は、そんなもと夫人に、「そんなファックスを学校に送ったら、三男氏が学校にいられなくなる」と懸命にとめたが、結局、もと夫人は過激な文面を過激なままに学校にファックス。
 ことが大きくなり、三男は転校することになった。

 大川総裁は、これを契機にいじめ撲滅の運動を起こし、教育に関して積極的に提言。
 (今年発刊された「教育の法」は、まことに、国を支えるには教育が必要である、ということを一貫して説いている)
 ついには「幸福の科学学園」を設立した。
 その結果、設立された学園は一年目にして順調な滑り出しで、偏差値の高い秀才だけでなく、一芸入試で才能のある若者たちをも入学させ、非常にユニークな学校となっていて、関西校も建設が進んでいる。

 これが三つ目の経緯である。

【かなり無理がある、週刊誌ともと夫人の言い分】

 さて、これらの「教団史」をみるや、
 なるほど、派手に耳目を引く行動は、確かに総裁のもと夫人が起こしている。

 しかし、そのあとのフォローアップはすべて大川総裁が行っているのがわかるのだ。

 そのフォローの方法は、というと、総裁自らがあたためていた企画に、その方向性を結びつけて、発展させていく、という形である。

 なぜ、それらの企画を「総裁が前から暖めていた」のがわかるか。

 それは、学校設立にしろ、党の設立にしろ、トラブルが起きてから、総裁が講演会等で話される内容を聞くと、その企画が決して急ごしらえではないのがわかるからなのだ。

 総裁の口からは、それらの件に関して、あきらかに数年ぐらい蓄積したと思われる専門知識が次から次へと出てくる。
 そして、それが正鵠を射ているのだ。
 さらに、そのあとの処置も、学園や党について、滞りなくやるには難しい諸問題も、総裁が指示を出して、全てをクリアしている。
 いずれも、かなりの知識やリサーチが必要な分野において、的確な指示を出している。
 総裁は事前に準備していたのだ、とわかる。
 だから、これが、もと夫人のトラブルに乗っかって、思いつきでやっているわけではなく、総裁が前々から準備していた企画の一つだったのだな、ということがわかるのである。

 もと夫人は、派手な花火をあげることは得意だが、その後始末をしたことは一度とてない人である。
 トラブルを良い方に転がしたのは、総裁の講義を聴き、その意を受けた会員さんが総裁の趣旨に賛同して動き、結果的に綺麗におさまった、という流れであることがわかる。

 そして、いずれも、派手な花火を打ち上げたもと夫人は、長い長い、総裁の「後始末」の間、ずっと沈黙を守っている。

 設立された党にも、学園にも、もと夫人の名前は出てこないのである。

 これらの経緯から、思い出すことがある。
 ……古くから、日本では、祟(たた)り神や荒神(あらがみ)のことを、
 「吉凶はかりしれず」
 と称し、メリットも大きいがデメリットも甚大な存在と称してきた。

 九十一年以降のもと夫人の存在は、教団と党にとって、そうした存在ではなかったかと思われる。

 だから、幸福の科学がこの件に関して、華々しくことを荒立てようとしないのは、もと夫人の言い分に理があるからではない。
 むしろ、冒頭の総裁の「お騒がせ体質のお騒がせ部分が外に出ている」、つまり、もと夫人という「荒神」が一人、教団の外に出て荒ぶっているに過ぎない、と考えていることが、この検証を通じてわかるような記がする。

 とりあえず、これまで表に現れた部分……
 教団の指針となった教義の七百冊近くの書籍が、すべて総裁の著書であるうえ、
 上記したように、世間的に注目された三つの事件の発端と、その後の展開を見る限りでは、
 「教団の繁栄を築いたのはもと夫人」だから、「教団の半分はもと夫人のもの」という週刊誌の言い分は、かなり無理をしていると言わざるを得ないのだ。

 なお、ここでは、日頃の業務に関しては触れなかった。
 その件に関しては、機会があったらまた記事にして更新の材料とさせていただきたい。

【週刊誌+もと夫人に、勝算はあるか】

 ところで、もと夫人は、以前は講義をしていたのが、近年、全く講義をすることがなかった。
 総裁は以前、
 「自分の身近に、インターネットを始めてから、まとまった知識の吸収が全くできなくなり、みるみる知的な実力が落ちていった人がいる」
 と講義で語っていた。
 小生、「これは誰のことだ」と、ずっと疑問に思ってきた。
 じつは、それはもと夫人が、とある芸能人の会員さんがインターネットをやっていることを知ったもと夫人が、ネットにはまり、楽天で買い物三昧にひたっていることをさしていたのだ。

 言論で戦う人が、その実力を養う知的吸収の努力を忘れたら、その末路はまことに辛い物がある。
 知的な吸収を長らく休んだ状態では、もと夫人自体にも、迫力以外に戦う力は弱かろう。
 花火や爆弾だけを放つことが得意でも、それだけで戦いに勝つことは難しい。

 しかも、自分をフォローしていた大川総裁、という存在自体を、今回は、敵に回しているのだ。
 もと夫人と、それを取り上げた出版社をフォローしてくれるものはどこにもない。

 対する幸福の科学と幸福実現党だが、この期に及んで、会員や、党員が一人も動じない、というのも、この経緯を見ると納得できる。

 彼らは、難事があるたび、大川総裁が先頭に立ち、矢面に立って歩んでいく姿を見ているのである。
 そして、総裁の
 「身に降りかかったトラブルはすべて、世の中を良くする運動の契機にする」
 という暗黙の意を受けて、ワイドショーや新聞がなんと叩こうが、沖縄で左翼に実現党党員が文字通り突き飛ばされようが、めげずに活動をして、運動を成功させてきた二十年間の積み重ねがあるからなのである。

 それだけの練られた団体に、今さら週刊誌二誌のみのアンチキャンペーンなど、どうということもないのである。
 今後、記事が載れば載るほど、追い詰められていくのは、もと夫人と出版社・週刊誌各社ではなかろうか。

 そして、さまざまな発言を総裁の胸中や察するに、おだやかながら、長く幸福の科学へアンチキャンペーンを張ってきた出版社と週刊誌二誌への、総裁からのゆるやかなメッセージを感じてしまう。
 総裁は、自らを過剰に攻撃してくる週刊誌に対し、こう言いたいのではないだろうか。

 「鉾を収められよ。
 あなたがた、日本の週刊誌が真に戦うべき相手は、実現党と幸福の科学ではない。
 この国に対して膨大な軍事力の牙を剥き、いまやアフリカ大陸にまでその手を伸ばしている、復活した『元寇』なのではないか」

 中国びいきでぐうの音もでない新聞・雑誌社にとっては実に耳にいたかろうが、戦うべき標的は、ほかにいる。
 この国が中国の「小日本省」扱いにされてからでは遅い。
 そのころには、ネットはおろか、週刊誌の一行一句に至るまで「当局」の検閲が入って、週刊誌の大好きな「自由な言論」などこの国から消滅してしまっているだろう。




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